扉
しんしんと雪が降り積もる。
いつ終わるともしれない内乱を抱えたこの大地にも、銀色の世界は平等に訪れた。
「今夜は、一段と冷えますね・・・・」
大陸の端にひっそりと建つアモール修道院。
孤児院も兼ねた建物の一室で、リューベックは誰ともなしに呟いた。
医者の肩書きを持ち、その腕は国内で高い評価を得ていたが、戦乱で傷つき親を失くしていく子どもたちの数の多さに愕然とした時、
彼は今自分に出来る事を考え、気が付けばこの地で孤児院を営む事を選んでいた。
もちろん自分がこの子らの親代わりになれるなどとは思っていなかったし、それは思い上がりだと認識していた。
それでも、自分を頼ってきてくれる小さな存在が前へ進む為の支えに少しでもなれればと、その悲しみをほんの僅かでも
癒してやる事ができればと、周囲の引き止める声を振り切るようにして此処へと移り住んだのは、ほんの一年ほど前。
慣れない子どもたちの世話に明け暮れる日々は、それでも毎日が充実しており、その眩しい笑顔に囲まれながら、
戦いの中にあっても、それなりに穏やかな毎日を送っていた。
今夜も、そんな日常のひとコマとして静かに更けゆくはずだった。
突然。
子どもたちを寝かしつけ暖炉の火を落とし、自分も眠りに就こうとしたその矢先、建物の入口付近で何かの音がしたような気がした。
声を潜めて耳を澄ましたが、それきり何も聞こえてはこない。
「・・・・・?・・・・・気のせいか・・・?」
それでも外に気を配るようにしながら再び自室に向かおうとした時、また先程の方向から音が聞こえる。
今度は気のせいなどではなかった。
殺気は感じないものの、しかし万一の事を考え攻撃態勢を整えて、外へ通じるドアへとゆっくりと近付いていく。
この修道院が平穏を保っていられる要因の一つが、リューベックの持つ高い魔法能力にあった。
その力は計り知れなく、軍の最高魔導師でさえも一目置くほどである。
雪が降り続いている為、何時にも増して静寂な夜の中、リューベックはそっとドアを開けた。
「・・・・・君たち・・・・・?」
見れば、そこには兵士どころか、まだ5歳にも満たないだろうと思われる男の子と女の子が、手を繋いで寄り添うように立っていた。
「こんな時間にどうしました? お父さんやお母さんは?」
リューベックの問いかけにも、二人は何も答えない。
女の子はずっと泣き続け、男の子は唇を噛み締めて彼を上目遣いに睨みつけるばかり。
「とにかくお入りなさい。こんな所にいたのでは風邪をひいてしまいます」
二人を急いで中に迎え入れたリューベックは、さっき落としたばかりの暖炉に再び火を入れ、温かいミルクを用意して
そっと差し出した。
「どうぞ。体が温まりますよ」
そう言ってリューベックがにこやかに笑うと、テーブルについて身じろぎもせず、ただじっと座っていた子どもたちはようやく
その表情を和らげ、温かなミルクを飲み始める。
「あの・・・・ありがとう・・・・」
ミルクを飲み終えた男の子は、ほうっ・・・と一息ついた後、少し顔を赤らめながらリューベックに向かって感謝の言葉を述べた。
「・・・・どういたしまして」
自分をずっと睨み続けていた男の子が見せた素直さに少し驚きながらも、リューベックは微笑んでそう答えた。
「名前を聞いても・・・・いいですか?」
そろそろ気持ちも落ち着いただろうとそう問い掛けたリューベックに、男の子はゆっくりと話し始める。
「・・・・・・オージェル。・・・・・・こいつは・・・・フィオ・・・・・・・」
「オージェルにフィオ。いい名前ですね」
兄妹かと尋ねれば、オージェルはふるふると首を振る。
聞けば、ここにくる途中で会ったのだと言う。
「そうですか・・・・。それで・・・・君たちのお父さんやお母さんはどうしました?」
両親の事を聞いた途端に、オージェルはびくっと震え、表情を強張らせた。
「オージェル・・・・?」
「あいつらが・・・・・」
「え・・・・・?」
フィオの手をぎゅっと握り締めたまま、オージェルはぽつぽつと言葉を紡ぐ。
「あいつらが・・・・・突然やってきて・・・・・僕の村を襲って・・・・みんな燃えて・・・・お父さんも・・・・お母さんも・・・・」
「・・・・オージェル」
「「みんな・・・・真っ赤に・・・・みんな・・・・みんな・・・・っ」
「オージェルっ! もういいっ!!」
震える声で記憶を甦らせていくオージェルを、リューベックはぎゅっと抱きしめた。
「分かりましたから・・・・・。もう・・・・分かりましたから・・・・」
「うっ・・・・・くっ・・・・っ」
ずっと張り詰めていた緊張の糸が切れたのだろう。
オージェルは唇を噛み締めながら顔を歪め、大粒の涙を零した。
その小さな体に、一体どれほどの悲しみを抱えているのだろう。
愛する子どもを助ける為に、親はどれほどの苦痛な叫びをあげたのか。
逃げ延びてほしいと。
生きてほしいと。
どれほどの願いを込めたのだろう。
リューベックには心当たりがあった。
王都から離れたこの場所でも、軍の動きは彼の耳に入っていたから。
物資の救援が滞りがちな戦の中で、いくつもの部隊が村々を襲って略奪を繰り返しているのだ。
オージェルのいた村も、おそらく彼らの仕業。
敵も味方も関係ない。
ただ己が欲を満たす為だけに。
いつだって犠牲になるのは力を持たぬ人々。
今なお続いているこの戦とて、元をただせば王宮内の内紛。
避けようと思えば避けられるものだった。
「うっ・・・・ううっ・・・ひっくっ・・・・ふぇっ・・・・・っ」
しばらく泣き止んでいたフィオもオージェルにつられてまた泣き出してしまう。
「ああ・・・フィオ・・・。大丈夫、もう泣かなくてもいいんですよ」
リューベックはしがみついてくる愛しい子どもたちを力いっぱい抱きしめてやる。
その暖かな温もりを確かめるかのように。
村を襲撃した軍が引き上げるまで何処かに隠れ、子どもの足で歩いてくる距離を考えると、相当する情報があった場所は
全部で四つ。フィオもおそらく、そのいずれかの村の子ども。
期せずして同じ時に親を失い、歩き回る途中で二人は出会ったのだろう。
「もう何も心配する事はないのですよ? 今日からここが君たち二人の家なのですから」
リューベックの言葉に、オージェルとフィオの二人は同時に顔を上げた。
「・・・・・本当?」
しゃくりあげながらオージェルが呟く。
「ええ、本当です」
「・・・・いってらっしゃいって・・・・お帰りなさいって・・・・言ってくれる・・・・?」
「もちろんです。私たちは今日から家族になるんですから。いってらっしゃいも、お帰りなさいも、必ず言ってあげます。
当たり前でしょう?」
「うんっ・・・・うんっ・・・・っ」
当たり前だと言ってくれる人が目の前に居る。
幼いながらもオージェルとフィオの心は、その事実に満たされていた。
いや、幼い故だろう。
二人は本能で感じ取ったのだ。
世界の全てを与えてくれる人が、此処に居る事を。
国を揺るがす内乱に終止符が打たれたのは、それから間もなくの事だった。
敗北した王妃と彼女を支持した貴族は斬首刑となり、擁立されていた王子は流刑罪となって、その幕は引かれた。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
「先生! 俺、大きくなったら士官学校に入りたいんだ!」
「士官学校・・・・・ですか?」
「うんっ! 強い騎士になりたい!大切なものをこの手で守れるように。もう二度と後悔の涙を流さないように。
絶対に・・・・・強くなる!」
「オージェル・・・・」
戦争が終わって8年の歳月が過ぎ、オージェルとフィオの二人は12歳となっていた。
戦いの記憶も人々の間から徐々に薄れていく中、その成長をずっと見守ってきたリューベックの目に、彼の姿は
とても誇らしく映る。
「そうですね。あなたならできますよ。きっと素晴らしい騎士になるでしょう。人心を理解し、その痛みを知る事のできる、
素晴らしい騎士に」
「うんっ!」
リューベックの言葉に少し照れたような、でも嬉しさを隠せない満面の笑みをオージェルが浮かべた時、二人のもとへと
息を切らせて走ってくる少女の姿があった。
「ちょっとオージェル! 抜け駆けするなんてズルイわよ! 先生! あたしも士官学校に入ります!
もう決めました!」
「フィオも・・・・ですか・・・・」
「おい、俺は別に抜け駆けなんて・・・・」
「してるわよ! 現に今!」
「あのな!」
「・・・・・二人とも、いい加減にしなさい」
「ほら見なさい! アンタのせいで怒られちゃったじゃない!」
「何でもかんでも俺のせいにすんな!」
「・・・・・・やれやれ・・・・・・」
寄ると触ると文句を言い合う二人の姿を、リューベックはため息をつきながらも微笑ましく見つめていた。
(オージェルもフィオも、お互いの事をケンカ友達などと言ってますが、私からすれば、どう見ても痴話げんかなんですけどね)
まだ12歳の子どもを捕まえてそんな事を思ってしまう辺り、妙に悟ってしまっている自分にリューベックは苦笑した。
(二人とも、これからが楽しみですね)
ほどなく訪れるであろう若い二人の未来に、リューベックは想いを馳せる。
全てはあの夜、あのドアを開けた時から始まったのだ。
運命の、扉。
そして、これから7年の後、三人は再びその扉を開く事となる。
好むと好まざるとにかかわらず。
「こんな時間にどうしました?」
END
**********************************************************************************************************
時間軸、大捏造。(笑)
リューベック、オージェル、フィオの三人が初めて出会った頃の話。
リューベックに関しては年齢の設定がないので、現35歳位として
出会った時は20歳としてあります。
それでこの言葉遣いは・・・・。(汗)