狂熱の骸
「ふぅ・・・・・・・・・・これで・・・・・・終わりか・・・・・・?」
ドサッと音を立て足元に崩れ落ちる屍人兵を見下ろし、俺は誰ともなく一人呟いた。
「それにしても、ここは・・・・・・」
ぼんやりとした明かりだけが僅かに照らす、仄暗い石造りの建造物。
内部を漂う空気は肌を刺すような冷気を帯びており、汗の滲む戦闘後の体が一層冷やされる。
辺りをぐるりと見渡してみるが、入口と思しき場所がどこにも見当たらない。
ということは、すなわち出口もない。
では、いったい彼らはどこから来たのか。
いやそれよりも。
そもそも自分はどのようにしてここへ入ったのか。
迷宮 ――――
それがまさに、この場に最も相応しい呼び名だろう ――――――
+ + +
『ヴァンピール島の北に浮かぶ小島に、ある男が流れ着いたの。 その男は特に腕を見込んだ騎士に、誰も見た
ことのない素晴らしい武具を授けてくれるそうよ』
あきんどの鏡とでも言うべきロゼータ先輩から怪しい情報を耳にしたのは、丁度ボロー荒野での戦闘を終えた
時だった。
上手くいけば、これからの戦いを有利に進められる ―――――
彼女はにこやかに微笑み、闇市場で仕入れたというその話を嬉しげに俺に話す。
しかし、誰も見ていないのに、なぜ素晴らしい品と分かるのか。
聞いた俺に彼女は一言。
『それが、この話の弱い所なのよね』
・・・・・・あっけらかんと言い放つ笑顔が、時々無性に憎い。
昔からそうだったが、相変わらずよく分からない人だ。
けれど、何の根拠もなく根も葉もない噂話をする人でもない。 人を食ったようなその性格にさんざん振り回されたりも
するが、何だかんだと言ってはみても結局は信頼のおける人物であるのには違いないのである。
だからこそ、より厄介なのだが。
それに ―――
ヴァンピール島。
その名には、聞き覚えがあった。
半信半疑ながらも、俺はとりあえずフィオと二人でかの地へと赴いた。
名前も分からないその小島は、人の住む気配などまるで無い想像以上に荒涼とした土地で、海風に砂が舞い上がる
様が一層寂しさを感じさせる。
しばらく島内を歩き回るうち、島のほぼ中央にあたる場所に崩れかけた遺跡を発見した。
何か得体の知れない異様な雰囲気に包まれている気がしたが、だからと言ってこのまま引き返す訳にもいかない。
俺とフィオは顔を見合わせ頷き、かつて内部に通じていたと思われる石段へと向かった。
ところが足を踏み入れた途端、急に大きな揺れを感じたと同時に突然足元が崩れ、俺の視界は一瞬にして闇へと
変貌を遂げたのだ。
気付けば自分の体は暗い石畳の上へと強か叩きつけられ、周囲にはどこからともなく現れた数体の屍人兵。
得物を振り上げ、闘えと言わんばかりにじりじりと近付いてくる。
ただ、彼らの動きは思いのほか鈍く、自らの意思で判断しているとは到底思えぬぎこちなさだった。
例えるなら、そう・・・・・・何者かに操られているかのような。
+ + +
向かってくる兵士達を全て薙ぎ払う。
倒れて動かなくなった彼らを一瞥し、俺はさっきまで一緒にいた筈のフィオを探した。
けれど、彼女の姿はどこにもない。 どうやら迷い込んだのは俺だけなのだろう。
一人にさせてしまった事実に多少の不安を覚える。 だが、少なくともここで彼女を危険な目に合わせなくて済む。
そう思った、その時。
声が聞こえた。
「久しぶりの、客人か・・・・・・」
「・・・・何・・・・・・・・!?」
壁の一部がぼうっと明るくなり、雷鳴に似た轟きと共に青白い光が幾筋も放たれ、一人の男の姿が浮かび上がる。
途端、冷やされた空気にピリピリとした緊張が伝わった。
流れる青銀の髪に、スラリと伸びた長身。 黒い衣を身に纏い威風堂々とした存在感さえ与えるが、薄明かりに照ら
されたやけに青白い顔が、どこか現実離れしているように見せた。
だが、さっきの奴らとはまるで違う鋭い気迫は、明らかに強者のそれ。
「誰、だ・・・・・・お前は・・・・・・?」
「・・・・・・戦士なら、私が鍛えてやろう・・・・・・さぁ・・・・・・剣を抜け」
問いには答えず、男が腰の物を抜き取り身構える。 無駄も隙も無い動き。 そして、とてつもない威圧感。
――― だめだ、雰囲気に飲まれるな。
そうだ。 焦れば焦るほど、状況は不利になっていくだけだ。
そして、気を抜けば・・・・・・確実にやられる。
汗が一筋、つうっと背中を伝い降りた。
「いくぞ!!」
「!!」
キィィィィン!! キィィィィン!!
何も無い闇の中に。
広がるのは、ただ闘争の熱気と金属音のみ。
ガキィィィィンッッッ!!!
(くっ・・・・・・速いっ・・・・・!)
勢いづいた剣の一撃一撃は重く、それが男の強さを物語っている。 反撃はおろか、今の俺には受け流すのが
精一杯で、技量の差は火を見るよりも明らか。
「っは・・・・・・はぁっ・・・・・・はぁっ・・・・・・っ」
刃を交えるごと、確実に体力が奪われていくのが分かる。 建物内はえらく冷えきっているというのに、流れ落ちる
大量の汗が暗い石畳にぽつぽつと染み跡を残した。
(このままではマズイ・・・・・・何か、突破口を ――― ・・・・・・)
「・・・・・・どうした、もう終わりか? ならば・・・・・・」
一瞬 ―――
男の体が大きく揺らぎ、そこに僅かの勝機が見えた。
――― 今だ。
「忘らるる魂よ・・・・・・」
残る全ての気力を剣に込め。
「無窮の闇に沈め ー――――― !!!」
一気に解き放つ!
「ぐ・・・・・・っああああぁぁぁぁぁ!!!!」
渾身の力を振り絞ったエネルギーが真っ直ぐに男めがけて向かい、その全身を侵し貫く。
衝撃に仰け反った男の震える指先から逃れた剣は床に吸い込まれ、硬質的な響きが周囲に木霊した。
表情を苦痛に歪め、次第に力尽きガクリと膝を折る。
「うぅっ・・・・・・あ・・・あ」
「はぁっ!・・・・・・はぁっ!・・・・・・・・・・・・勝ったっ・・・・・・のかっ・・・?」
緊張が解けたせいか、体から急激に力が抜けた俺は思わず床に座り込んだ。
酸素は吸う側からどんどん逃げていき、肺がたまらなく苦しい。
ぜいぜいと、まだ呼吸の整わぬまま前方を見ると、男は壁に手をつきヨロヨロとふらつく体を必死に支えて立ち
上がろうとしていた。
額から伝い落ちる、赤く細い糸。 人の形を成してはいるが、その身はもはや空蝉に非ず。
あり得ない光景だった。 だが、少なくとも・・・・・・俺の目にはそう映った。
―― ふいに、男の口元に小さな笑みが浮かぶ。 纏っていたはずの剣呑な空気は、いつの間にか消えていた。
「・・・・・・良い騎士だ。 これからも、鍛錬を怠るな・・・・・・」
「え・・・うわっ ―――― !?」
刹那、目の眩むような閃光。
白く染まった世界は、だが数秒の間に元の闇を取り戻す。 見ると足元に、見慣れない一振りの剣が置かれていた。
磨き抜かれた鋭利な鋼は、まるで自身が発光しているかと見紛うほどの強い光を放っている。
「それは土産だ・・・・・・。 名は、シュテンベル。 持って邪魔になる物でもない・・・・・・とっておけ」
それだけ言うと、男は身を翻しこの場から立ち去るべく背を向けた。
「ま・・・・・・待って下さい!」
―――― 何故、そうしたのか。
俺は咄嗟に彼を呼び止めていた。 理由など無い。
けれど、どうしても。
このまま彼を帰してはいけないような、そんな気がした。
「・・・・・・まだ、何か用が?」
外套を羽織る背中越しに、くぐもった声。
「俺・・・・・・俺の名はオージェル。 ベルーナ王国近衛騎士団の新米です。 あの、あなたの・・・・・・あなたの名前を
教えて頂けませんか」
「お前が・・・・・・近衛の?」
振り向いた彼の瞳は、僅かに驚愕の色を宿していた。 しかしそれもすぐに鳴りを潜める。
しかめられた眉が苦悶とも悲壮とも見て取れ、その表情が何となく俺を落ち着かなくさせた。
「・・・・・・そうか・・・・・・これも因果というやつなのだろう・・・・・・」
「え・・・?」
「いや・・・・・・そうだな。 私の名はカサンドラ。 かつてベルーナ王国において子爵の位についていた貴族だ。・・・・・・
もう、遠い昔の話だが」
「カサンドラ?・・・・・・まさか・・・・・・まさか先の内乱でティティス王妃と共に斬首刑になったという、あの・・・・・・?」
「・・・・・・ティティス王妃・・・・・・。 それもまた、懐かしい名だ」
彼の言葉は衝撃だった。
かつて国を二分し、多くの罪なき民を巻き込んだ戦。 その中核とも言うべき人物、カサンドラ子爵。
王妃を冠した
謀反の咎により命を断たれ、既に家名も廃絶となっている。 その彼が、何故こんなところに。
混乱する俺を余所に、カサンドラは壁際に静かに腰を下ろし、天を ―――――
いや、どこか遠くを眺めた。
「あれから、そう・・・・・・もう十五年にもなるのだな。 時の経つのは早いものだ」
響く声は信じられぬほど穏やかで、先程までの猛々しい素振りはどこにも無い。
名前しか知らずにいた彼は、こうして見ると思っていたよりも年若く整った顔立ちをしているが、どことなくやつれて
いるせいなのだろう。 実際の年齢よりも、随分上のように感じられた。
「・・・・・・十五年前から、ずっとここに?」
「・・・・・・・・・・・」
その瞳は何か夢うつつの中に身を置くかの如く、相変わらず虚空を見つめたまま。
しばらく無言で時を過ごすカサンドラの言葉を、俺は根気良く待った。 彼にしてみれば、これから幾星霜、遥か長い
長い時間の流れの中で僅かに留まった一瞬かも知れないが、生物の気配も何も感じられない閉鎖された空間で、それ
は無限にも思われる。
やがて ―――― 彼はゆっくりと瞳を閉じ、重い口を開き始めた。
「私は・・・・・・騎士である己を何よりも誇りに思っていた。 死して尚、そう在りたいと願う心が私の魂をこの迷宮へと
導いたのだろう。・・・・・・神か悪魔かは知らぬが、どうやら静かに眠る機会は与えられなかったらしい」
「・・・・・・何故、国を裏切るような真似を?」
「裏切る・・・・・・か」
口の端を軽く上げて、カサンドラは薄く笑う。 伏せられていた瞼を持ち上げた先にあったものは、悲哀だったのか。
それとも ―――― ・・・・・・
「今となっては、それも否定はするまい。 だが、あの時。 私達にも確かに正義があったのだ・・・・・・。
この大地を ――
数多の民を守る為に、王妃は自らの信ずるものを貫き戦った。 そこには間違いなく、私達なりの信念が存在していた」
「ならば、どうして・・・・・・」
「・・・・・・戦とは・・・・・・そういうものだ」
「・・・・・・・・・・」
そうだ、分かっている。 いや、分かっていたはずだった。 言われなくとも充分に。
自分とて、ひとたび事あらば戦場へと赴く身。 己の心の命じるままに。 愛しい人々を守る為に。
だがそれは、相手にとっても同じこと。 お互いが自らの正義の為、国の為、人民の為に刃を交える。
大儀を掲げ、道理を通す。 人が紡いできた、果てしない歴史の営み。
けれど。
それでも問わずにいられないこの衝動は、いったい何なのだろう。
「・・・・・・あなたは、それでいいんですか? 汚名と罪を着せられたままで・・・・・・それで構わないと」
「アステリア王子のことを、言っているのか・・・・・・」
「誰もが王妃の敵となる中で、あなたは最後まで彼女を守り戦った。 たった一人、あなただけが」
王妃が亡くなり、カサンドラが亡くなり。 擁立されていた王子も、もちろん罪から逃れられはしない。
しかし父親であるロズベルト王は、まだ小さな命を不憫に思ったのだろう。
一人残されたアステリアは流刑罪となり、
間もなくひっそりと国を後にした。
そして、その流刑の地となったのが、ヴァンピール島。
彼は、これを偶然と呼ぶのだろうか。
「そうだな・・・・・・愛しさを感じていなかったと言えば嘘になる。 所詮何が本当かなど誰にも分からぬもの。
だが・・・・・・
この世には覆い隠して成り立つ真実が、決して少なくないと知れ・・・・・・」
「カサンドラ子爵・・・・・・」
「少し、喋りすぎたようだ。 ・・・・・・もう戻るがいい。 お前の連れも、そろそろ痺れを切らしている頃だろうからな」
「あ・・・・・・」
そうして立ち上がった彼の輪郭が少しずつぼやけ始め、白い霧が周囲に広がってゆく。
細くたなびく薄雲のような数本
の靄がカサンドラの体をふわりと取り巻くと、やがてその姿は徐々に透けていき向こう側の壁が現れ始めた。
次の瞬間、ヴンッ! という音と共に空気が震え空間が歪み、ただの壁面であったはずの天井に巨大な穴が形作られ
ていく。 どうやら来た時と同じものであるらしい。
「外に通じる道だ。 そこから地上へと出られる」
既に影となりつつあるカサンドラの体。 いや、きっと魂と呼ぶべきモノ。
耳の奥。 やけに反響しだしたその声も、もうすぐ現実味を無くし跡形もなく闇へ溶け込む。
「・・・・・・これからもずっと、あなたは待ち続けるんですか」
暗い迷宮にたった一人で。
いつ訪れるとも知れぬ戦士を、未来永劫ただひたすらに。
「それも・・・・・・運命 (さだめ) なら・・・・・・」
一面の黒は全てを飲み込み、再び元の姿に戻るだけ。
ふと、また。
彼が口の端を軽く上げて笑った。 そんな気がした。
「オージェル! 大丈夫!?」
突然聞こえてきた声にハッとして頭上を見ると、そこには中を覗き込むように手を付き俺を見下ろすフィオがいた。
「もうっ、いきなりいなくなるからビックリしたわよ! あんまり面倒かけさせないでよね!」
逆光でその表情までは分からないが、咎める声とは裏腹に俺を案じて気が気ではなかっただろうことが容易に
想像できる。 伝わる音が、少しだけ震えていたから。
それは、意地っ張りな彼女の不器用な照れ隠し。
「ああ、心配かけてすまない。 っと ―――― 悪いが、ちょっと手を貸してくれ」
「・・・・・・しょーがないわね。 はい」
仕方が無いと言いながらも、フィオは薄くはにかんで右手を突き出す。
彼女の温もりを確かめるように差し伸べられた手をぐっと握り、俺は地下迷宮から地上へと這い上がった。
闇に慣れた目は、暫くのあいだ降り注ぐ太陽の光を浴び痛みを感じた。
「サンキュー、助かった。 お礼に・・・・・・ほら、戦利品」
手にしていたシュテンベルをフィオに渡すと、彼女は面食らった表情で受け取った剣をしげしげと見つめる。
細かい細工を施された柄の部分から鋭い剣先に至るまで。 裏返してはまた表と、フィオは真剣に見定めていく。
無理も無い、と俺は苦笑した。
自分とてこうして眺めているだけで、内から放たれるエネルギーにはとてつもない力を感じるのだ。
まして同じ気を持つ彼女ともなれば、それは数倍、いや数十倍にも感じられるはず。
「凄い・・・・・・」
凄まじい迫力に圧倒されるのか、フィオは頬を紅潮させ魅入られた者の目で呆然と呟いた。
きっともう俺の存在など眼中にないだろう。
多少悔しくはあるが、嬉しそうな彼女の笑顔を見られるのなら、それだけで苦労した甲斐があったというものだ。
・・・・・・まぁ、結果的にそうなったと言ってしまえばそれまでだが。
しばらくして、ようやく満足したらしいフィオは、今度は俺と剣とを交互に見つめた。
「何だよ?」
「・・・・・・いったい、何があったの?」
「それは・・・・・・」
そういえば、同行を頼んだものの詳しい話をしていなかったことに今更気付いた。
彼女にしてみれば当然の問い
だろう。 突然俺の姿が見えなくなり、帰って来たと思ったらいきなりこんな業物を手渡されたのだから。
俺はロゼータ先輩から聞いた内容だけを伝えることにした。
・・・・・・その男がカサンドラであるという事実については、どうしても言う気にはなれなかった。
彼女にとっても俺にとっても、彼は所詮過去の人間。 昔を蒸し返した所で、現況の何が変わる訳でも無い。
今は目の前の現実を直視しなければ。 不必要な火種を、あえて抱え込む理由はどこにも無いのだ。
目的を達した俺達は、島を離れるべく遺跡を後にした。
しばらく歩き、ふと振り向くと、乾いた風が容赦なく襲い掛かり石の侵食を更に深くしていくのが見えた。
おそらく、ここもそう長くは持たないだろう。
砂と消え、いつしか人々に忘れられ。 本当に誰も訪れる者のいなくなるその時。
それでも彼は永遠に身を委ね、留まり続けるのだろうか。
一際強い風が吹く。
彼が再び、満足気に微笑んでいるのかも知れない。
END
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黒死の迷宮・カサンドラとの闘い。
私的に不義の罪は濡れ衣だろうと解釈してます。
そりゃアステリアも歪みたくなるよね。
強がっちゃってもう、王子様ってばv (何)
タイトルの 「狂熱」 。 本来の意味とはかけ離れた
内容となってますが、カサンドラの心の内にこれく
らいの愛情が渦巻いていたんではないかと、むしろ
そうであって欲しいという願望からです。(笑)