光の中で
溢れてくるのは、眩しい夏の陽射し。
生命を湛えた幹に枝を這わせ、緑はやがて静かにその思いを風に乗せる。
流れは絶えず、幾重に繋がれた営みもまた、永遠の中。
+ + + + +
風を受けて、窓辺の白いレースのカーテンがひらひらと揺れる。
開け放たれた大きな窓からもたらされる夏特有の空気を肌で感じながら、ラグに横たわっていた
彼は心地良い眠りへと引き込まれていた。
冷房をかけずとも部屋の中は風の流れだけで充分快適で、そんな環境を見逃す筈もない彼の
愛犬も、やはりその傍らで安心したようにすやすやと寝息を立てている。
遠くに聞こえる蝉の声も、もはや夢へといざなう子守唄。
「涼兄ーっ」
廊下に、パタパタというスリッパの軽やかな音が響く。
「涼兄ーっ、どこーっ?」
足音の持ち主は、この家の娘である鈴原里緒。
そしていま彼女が探しているのは、両親が共に連れ立って海外へ渡航している間、女の子一人では
物騒だからと大学の寮から呼び戻された兄、鈴原涼である。
「もう・・・・、どこ行っちゃったんだろ。せっかく帰ってきてるんだから勉強見てもらおうと思ってたのに。
おまけにジョリーまで姿が見えないし!」
里緒はいまだ見つからない兄の姿を探しながら、むーっと頬を膨らました。
久しぶりに再会した愛犬と散歩に出掛けたのかと思ってもみたが、玄関に靴がある事からその可能性は
まず無い。
もちろん車はきちんとカーポートに納まっている。
リビングや涼の部屋はもとより、汗をかいて帰宅した時には真っ先にシャワーを浴びるバスルームも、
居ないと分かってはいるが念のために自分の部屋も。
あまつさえもっとありえない両親の部屋も探してみたが、何処にも居ない。
「おっかしいなぁ・・・・」
探すといっても、所詮はそう広くは無い家の中。
とりあえずもう一度見てみようとキョロキョロしながらキッチンから続くリビングの空間へと歩いていた
里緒は、そこで目をとめた。
「・・・・見つけた」
ソファーセットの更に奥。
寝転がって寛げるようにと、ラグを敷いてあるフローリングには移動が楽なミニテーブルだけが置いてある。
その場所に彼はいた。
まさかそんな所に寝ているとは思わなかった為、さっきは遠目にぐるりと見渡していただけの彼女からは
死角になっていて見えなかったのだ。
傍らには愛犬を寝そべらせて、そよぐ風に髪を揺らす涼からは静かな寝息が聞こえてくる。
里緒はそれまで忙しなく立てていた足音を極力抑えて側へ寄り、普段は殆ど見ることの出来ない兄の
寝顔を覗き込むようにして顔を近づけた。
「ほんとに・・・・よく寝てる・・・・」
気温はそれなりに高いが、湿度が低いために窓を開けて外の風を入れている方が気持ちいいのだろう。
人が近付く気配にも、涼が起きる様子は全く無かった。
しかしさすがにジョリーの方はそうはいかない。
案の定、里緒の姿を見つけた途端、 「クゥ〜ン」 と小さく鼻を鳴らすようにして、寝そべっていた頭を軽く
もたげた。
「しー・・・・、ジョリー、静かにね」
口元に指を当てて小さな声で囁く。
すると何を思ったのか、ジョリーはその大きな体をのっそり持ち上げると、ゆっくりとした動作で何やら移動
し始めた。
「?」
明らかにまだ眠そうな表情をしているのに何をしているのかと里緒が首を傾げていると、その白い
むくむくは占領していた涼の真横の場所を空けて彼の枕もとへとしゃがみ込み、再びゆったりとした眠りを
貪り始める。
定位置につくと、もうピクリとも動かない。
いつもの事だが微動だにせず眠るその姿は、まさか死んでるんじゃ・・・・と思わせるに足るものなのだが、
よくよく見ると僅かにお腹の辺りが上下しているのが見て取れた。
「・・・・・・・・・・もしかして・・・・譲ってくれた、のかな・・・・・」
涼を起こさぬように声を潜めたままそう呟く里緒に、愛犬からの返事は返ってこなかった。
「・・・・ここは、有難うって言うべきだよね」
ジョリーの好意に感謝して数回ふかふかの体を撫でた後、里緒は涼の隣に滑り込みその安らかな寝顔を
じっと見つめた。
風に攫われて揺れている、さらさらとした少し長めの前髪。
瞳を閉じると年齢よりも何処か幼く見える表情。
「何か・・・・不思議な感じ・・・・」
いつも時間ギリギリで慌てている里緒とは違い、涼は誰かに起こして貰うという事が殆ど無い。
彼の熟睡している姿を見たのは、ここ数日の事と言ってもいいくらいだ。
研修医として病院と家とを忙しく往復する日々。
時間は不規則で、たまの休みにも担当患者の容態によっては即座に呼び出される。
当然深夜も例外ではない。
疲れているのだろうと、思う。
でも、それでも彼は言うのだろう。自分の決めた道だから、と。
だからせめて、この穏やかな時だけは何があっても守ってあげたい。
彼がこれまでの人生の中でいつも自分を守ってきてくれたように。
いま自分に出来るのは、それだけだから。
「おやすみ、涼兄・・・・」
涼と向かい合う姿勢で横になりそれだけ言うと、里緒もまた体を撫でていく優しい風に誘われるように
意識を遠のかせていった。
「う・・・・・ん・・・・・?」
気怠いまどろみの中。
里緒がゆっくりと覚醒を始めた頃、辺りはもう薄暗くなりかけていた。
どうやら思いのほか熟睡してしまっていたらしい。動こうとしたが、しかしすぐには体が言うことを聞かない。
いくらラグの上とはいえ、こんな場所で長時間寝ていたせいだろう。何だか節々まで痛むような気がする。
「おはよう、里緒。随分良く眠ってたね」
はっきりとしない頭のまま声の主を見ると、目をぱっちりと開けた涼が寝ぼけまなこの里緒に向かって
くすくすと笑っていた。
「う・・・・おはよう・・・・涼兄・・・・」
こんな時間におはようもないもんだが、いままで爆睡していた手前何も言えない。
「って・・・・いつから起きてたの?」
目覚めていたのなら起こしてくれれば良かったのに。
というより、彼は何故いまだに寝ていた体勢のままなのだろうか。
「うん? そうだなぁ、結構前からかな。目が覚めたらお前がすぐそこに居たもんだからびっくりしたよ。
無理に起こすのも可哀相だからそのままずっと見てたんだけどね」
「見てた・・・・って・・・・・」
涼は殊更にこやかに微笑む。
「もちろん、可愛い寝顔を」
「!!!」
あろうことか、ずっと見られていたとは!
あまりの恥ずかしさに瞬時に顔が赤くなる。
「ひどい、涼兄! 女の子の寝顔をまじまじと覗いてるなんて!」
照れも手伝って思わずポカポカと叩いてみたところで、きっと何の意味も成してはいないのだろうとは
分かっているが。
口を開けて間抜けな顔で寝ていたとかそんな事はないとは思う。ないとは思うけれど!
「何言ってるんだ人聞きの悪い。これでおあいこだろ?」
いやそこはそれ、自分も同じ事をしていたのだから反論はできないのだが。しかし!
「男と女じゃ重みが違うもん!」
これだけは言っておきたいとばかりにきっぱりと里緒は言い切った。
それが果たして理由になっているかどうかは定かではないが、真っ赤になって怒っている里緒に
これ以上臍を曲げられては困る。
とりあえず謝罪したほうが良さそうだと涼は苦笑した。
「分かった、分かった、悪かった! ほら、そんなに膨れてると可愛い顔が台無しだぞ?」
「っ・・・・・!」
じりじりと迫ってくる、誰もが魅了されるような優しい笑顔。
こういう時、涼はズルイと思う。
ぷくっと膨れた頬をツンッと突かれて、そんな風に笑われたら何も言えなくなるって絶対分かってるくせに。
手の平で転がされているようで、何だか理不尽ささえ覚えるのだ。
「ほんとに、悪いと思ってる?」
「思ってる、思ってる」
涼は、少なくとも自分の前ではポーカーフェイスでもなければ表情が乏しい訳でもないのに、時々読めない
微笑みで躱される時がある。
今も多分そうなのだろうと里緒は思った。
彼女は、はぁっと溜め息をつく。その笑顔こそが曲者に他ならないのだから。
「・・・・しょうがないなぁ。じゃあ、涼兄特製のカルボナーラで手を打ってあげる」
「カルボナーラ?」
「そう。それで済むんだから安いもんでしょ?」
「承知しました、お嬢さん」
「よし! 決まりね!」
両手を合わせてパンッと鳴らした里緒の嬉しそうな顔を見て、涼はいっそう破顔する。
「・・・・どうしたの?」
二人の夕食の前に、まずジョリーのご飯を用意するためキッチンへ向かおうとした涼に何だかくすぐったく
なるような視線を送られて、里緒は戸惑いと共に問い掛けた。
「いや、可愛いなーと思って」
「なっ・・・・何言っちゃってんの? 涼兄ってば!」
面と向かって妹にそんな事言うなんて信じられない!
そう言って更に顔を真っ赤にし、今度こそその場を逃げるようにしてジョリーの後を追いキッチンへと
姿を消す里緒の後姿を、涼はとても愛おしそうに見つめる。
「本当に・・・・どうしていいか分からないほど可愛いよ・・・・」
小さく紡がれた言葉に含まれる切なさも。
体の奥から湧き上がる渇望も。
今の彼女に、それらを知る術はまだ何処にも無かった。
「妹・・・・か・・・・」
諦めにも聞こえる呟きは、まるで自分に言い聞かせる為の苦しい呪文。
運命は今、静かに動き出す。
END
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サイトの二周年記念にフリー配布したもの。
ちょっと原点に立ち返ってみようかと思いプロローグ的にしたので
甘さは殆どナッシング・・・。
いや、ある意味イチャイチャはしてますが。(笑)