大 ピ ン チ !










「可愛いでしょう?あたしからのプレゼント、有難く受け取ってよね♪」

「くっ・・・・!」

 目の前の少女はくすくすと笑う。

 可愛い、なんて冗談じゃない。

 今まさに襲い掛かられようとしているもの。

 それは、今までに見た事も無い大きさでもって立ち塞がる巨大な蟲だった。しかも三匹も。

 おそらく魔物だろう。

 それにしても、この世のものとは思えないグロテスクな姿は、何とも形容し難いというか。

 あまりお近づきにはなりたくないタイプだ。

「お前達、油断するなよ」

「はい」

 ガウェイン卿を先頭に、俺とフィオ、更にユズリハさんの四部隊は一斉に身構えた。






 ウェスペールで何かが起きている。

 ベルーナ王国騎士団長であるガウェイン卿からそう聞かされたのは数日前の事。

 先の戦役で多くの同胞を失った今、この任務を任せられるのはお前しかいない、と恐れ多い言葉をいただいたのだが、奇襲を

受けたのはその矢先だった。

 ガウェイン卿の元へと援護に駆けつけた俺達の前に現れたのは、まだ子どもと言ってもおかしくないくらいの少女。

 その背中には透き通った小さな羽が生えている。

 しかし彼女の口から出た言葉は、その幼い外見からは想像も出来ないほど残忍なものだった。

 そして、少女の魔術により現れた魔物。

 それは、俺達を抹殺する為に召喚された異形のもの。






「じゃ、早くやられちゃってね♪」

 そう言い残し、少女の姿は光と共に消えていく。

 後に残されたのは、獲物を求めてお腹を空かせているように体液を口から流し始める蟲達。

 あぁ・・・・。ますます近付きたくない・・・・。

 が、この国を守る騎士としてはそうも言っていられないが。

「来るぞっ!」

 ガウェイン卿の声が響き、蟲達が徐々に向かってくる。

 俺達は奴らを倒すべく、剣を構えて対峙した。






「っはぁっ・・・・はぁっ・・・・」

「っ・・・・オージェルっ・・・・大丈夫かっ・・・・?」

「は・・・・はいっ・・・・・。ガウェイン様こそっ・・・・お・・・お怪我はありませんかっ?」

 おびただしい体液を撒き散らして絶命した魔物達を見つめながら、俺はゼイゼイと荒く息をついた。

 そしてそれは、俺などより遥かにその道で長けているガウェイン卿も例外ではなかった。

 漸く敵を倒し終えて辺りを見回すと、いつの間にか日が暮れようとしている。思っていた以上に苦戦したのだ。

 シュロン戦役をくぐり抜けて、多少なりとも実戦での己の技量に自信がついたと思っていたのが甘かったのだと思い知らされる。

 百戦錬磨の彼までもが苦戦を強いられるとなると、この先の戦いは微塵も侮れない。

「俺は大丈夫だ。それより・・・・問題はあっちだな・・・・」

 指し示された方に目を向けると、そこには力が抜けたように座り込んでいるユズリハさんと、彼女を支えるようにしているフィオの姿があった。

「ユズリハさんっ!しっかりしてっ!」

「ユズリハさんっ!?」

 今までについぞ見た事の無い彼女の様子に俺は慌てて駆け寄った。

 どんな敵と渡り合った時でも、彼女がこんな風になった事はただの一度も無かったからだ。

「大丈夫ですか!?」

 見たところ怪我を負っている訳では無いらしいが、俺を見上げる顔は血の気を失い、その体も僅かに震えているのが分かる。

 それでも心配をかけまいとしているのか、ユズリハさんは青褪めた表情ながらも俺に向かってにっこりと微笑んだ。

「だ、大丈夫です・・・・。ちょっと圧倒されてしまっただけですから・・・・」

 ・・・・圧倒?

 ドラゴンにさえも平気で立ち向かっていくこの人が?

 俄かには信じられない事だったが、現実に目の前の彼女はかなりのダメージを負っている。

「ユズリハさん、立てる?あたしの肩に掴まって」

「あ・・・・有難う」

 彼女がよろよろとふらつきながらフィオに支えられて立ち上がった為、慌てて俺もその反対側を支えた。

「ユズリハ、大事ないか?」

 俺より少し遅れてやってきたガウェイン卿が部下を憂いて声を掛ける。

「はい・・・・。申し訳有りません、ガウェイン様。不甲斐ない姿をお見せして・・・・・」

「いや、構わん。いくらお前だとて、そう何事も完璧にいくものではないのだからな。帰ったら少し休むといい」

「はい、有難うございます」

 これからの事に多少の不安を覚えながらも、とりあえず俺達はその場を引き揚げ、夕闇せまるなかエリーゼ様の待つカペラ離宮へと急いだ。






「では、今回のウェスペールでの異変は、ジェレニアによる策謀だと言うのですね?」

「はい、間違いありません」

 ガウェイン卿は少しだけ眉を寄せて呟いた。

 深夜、離宮の中にしつらえられた、窓の無い北向きの広い一室。

 その部屋の中央に置かれた円卓で、ガウェイン卿を始め、俺達王国騎士団の指揮官はエリーゼ姫を囲んで今後の対策を練った。

 さすがに昼間の事もありユズリハさんには召集をかける気は無かったのだが、本人がどうしてもと言うので彼女も列席している。

 だがやはりその顔色は優れない。

「・・・・・ユズリハさん、ここは俺達に任せてやっぱり休んでいた方が・・・・」

「いえ、大丈夫ですから・・・・お気になさらずに」

 薄く微笑んだ彼女は自分の体を抱えるようにして腕を組み、そっと目を閉じる。

 やはり、いつもと明らかに違う。

 そんな彼女を気遣いながらも、集まった面々の話し合いは続けられた。

「おそらくはシュロン戦役において我が国に大敗した事に起因しているのでしょう。不本意ではありますが、ジェレニアがこちらに

脅威を抱いている以上、事は急を要します。予定を早めて、明日にでもオージェル達にはウェスペールに向かってもらおうと

思っております。それと、万一に備えて私の部隊も前線へ向かわせ、彼らと合流させますので」

 そこまで聞いたエリーゼ姫は、うーん・・・・と考えるポーズを取りながら、何やら思案している。

「・・・・・何か問題でも?」

 そう尋ねた騎士団長殿の頭上に、気のせいか暗雲が見えるような。

「・・・・・ガウェイン、あなたはどうするのですか?」

「私は・・・・部下だけに任せるわけには参りませんから、もちろんオージェル達と行動を共に致します」

「それって、不公平ですよね?」

 にっこりと笑ったエリーゼ姫を見て、ガウェイン卿は、ああやっぱり・・・・という顔をした。

 もちろんそう思ったのは俺も同様。

 そうだよな。

 この人がおとなしく城に残ってくれるような方だったら、俺達は日々こんなに苦労したりはしない。

 毎日の体力勝負な近侍日課を振り返りながら、気の毒なオーラを背中に抱えた後見人に、俺は心の中で同情した。

「・・・・・絶対に駄目です」

「何がですか?わたくし、まだ何も言っておりませんよ?」

「言わなくても分かります。ご自分も同行なさりたいと仰るおつもりなのでしょう?」

「さすがはガウェイン! そこまで分かっているのなら話は早いですね。というわけで、わたくしも共に参ります」

 その場に居合わせた全員が、一体どういうわけなんだと無言でつっこむ。

 天使の笑顔で微笑みながら断言するエリーゼ姫に、ガウェイン卿は心底困ったという風に溜め息をついた。

「何度も申し上げたはずです。姫は間もなく戴冠式に臨み、この国の王となられる身。大切な御身を危険に晒すわけには参りません。

どうか後の事は我らにお任せ下さいますよう」

 彼の正論に皆がうんうんと頷く。

「・・・・臣下に全てを押し付けて、城の中でぬくぬくと待っていろというのですか?」

「そうは申しておりません。ただ、人にはそれぞれ役割というものが・・・・」

「これでもわたくしは戦火の中をくぐり抜けた魔術師として、少なからず自負しています。足手纏いになるつもりもありません」

「ですから、そういう問題では・・・・」

「問答無用」

「いや、でも・・・・」

「決定事項です」

「・・・・・・・・・・・・・・・・分かりました」

 がっくりと項垂れたガウェイン卿の頭上の暗雲は、どうやら雨に変わったらしい。

 つくづく気の毒だ。

「但し、決してご無理はなさいませんように。万が一にも御身に危険が及ぶような事が少しでもあれば、即刻城に戻っていただきます。

それだけは何があっても譲れません。よろしいですね?」

「はい、分かっております」

 まるで明日の遠足を楽しみにしている子どものような満面の笑み。

 本当に分かっていただけたのか。

 限りなく不安だ・・・・。

「・・・・オージェル、頼んだぞ」

「・・・・はい。力の及ぶ限り」

 隣に座る俺に前を見据えたままボソッと呟いた彼に、苦笑しながら小さく頷いた。






 翌朝、まだ夜も明けきらぬ頃、王国騎士団6部隊によるウェスペール探索は始められた。

 この探索に関しては、俺が全指揮をとる事になっている。

 ガウェイン卿に加えてロゼータ先輩も参戦してくれるが、今回の彼らはあくまでも後方支援。

 成功するもしないも、全ては俺次第という訳だ。

 最前線を進むのは俺とフィオ、それにユズリハさんとエリーゼ姫の部隊。その後にガウェイン卿とロゼータ先輩の部隊となる。

 ユズリハさんの体調が気になる所だが、彼女が頑として一歩も引かない以上仕方が無い。

 まぁ、彼女の事だ。本当に無理な時には潔く戦線離脱するだろう。

 犬死にを良しとせず、武人としての引き際を心得ている人だ。






 初めて足を踏み入れるウェスペールは、殆ど山奥と言ってもいいほど周囲を高い山に囲まれた場所だった。

 その入口も深い森を分け入り、尚且つ山頂近くまで登らないと気付かぬようなひっそりとしたもの。

 俺達は迷宮の入口付近にベースキャンプを張り、そこを拠点として動く事とした。

 もちろんロゼータ先輩の出張店舗込みである。

「先日の奇襲攻撃で分かっているとは思うが、この先どんな魔物が出てくるかは全く分からない。事前に探索を進めていた

俺の手の者が一人も帰還しなかった事から、相手は相当の手足れと思って間違い無いだろう。くれぐれも気を引き締めていけ」

 改めてガウェイン卿の忠告を受け、俺達は迷宮の先へと歩みを進めた。

 どうやら迷宮は地下へと伸びているようで、一歩入ると陽の光も届かず、外界から閉ざされた特有の空気で満たされている。

 その様子はまるで、何億年という長い時間をかけて形成される見事な鍾乳洞を思わせた。

「静かだな・・・・」

「やだなぁ・・・・今にも何か出てきそう・・・・」

「でも、ちょっとワクワクしませんか?」

「姫さま、またお戯れを・・・・」

「「・・・・・・・・」」

 めいめいに感想を言いながらしばらく進むと、奥の方からかすかに何かの音がした。

「・・・・・来る」

 ガウェイン卿の言葉に、全員に緊張が走る。

 途端、道の先からぬっと顔を出したのは、ついこの間やりあったばかりの異形の魔物。

 今度は四体に増えている。

 どうやらまたお相手しなければならないらしい。

「行くぞっ!」

 それぞれに連携しながら相手に切り込む。

 スピードはあまり早くないものの、その力は計り知れない為、迂闊に懐に飛び込む事は出来ない。

 向かってくる攻撃を躱し、俺の振り下ろした剣がその体に当たった瞬間、ガキィィン!という音が響いた。

「くそっ!」

 以前のものより確実に手強くなっている。

「オージェル! 避けてっ!」

 後ろからの声に咄嗟に脇に飛ぶと、眩しい閃光と共に轟音が轟き周囲の岩壁に反響する。

 白い煙を上げていたものがやがて収まると、その向こうにはぴくぴくと痙攣しながらよろめく魔物の姿があった。

「・・・・流石ですね、エリーゼ様」

 エリーゼ姫はにっこりと微笑む。どうやら腕はますます上がっているらしい。

 彼女の放った魔法は四体全てに及んだらしく、敵はかなり衰弱していた。

「よし、今のうちに全員でとどめを・・・・ユズリハさん?」

 ふと彼女を見ると、見て分かるほどにふるふると震えている。

 やはり本調子では無いのだろうと後ろに退がらせようとしたその時だった。

「・・・・んです・・・・」

「え?」

「私っっ!蟲が苦手なんですーーーーーーーーーーーーーっっっっっ!!!!!」

 それは、居合わせた者達に耳鳴りを起こさせるほどの、魂の慟哭。

 ですーーですーーですーー・・・・というエコーが消えても、目の前の敵そっちのけで、しばらくは誰も動けず目を点にするばかり。

「あ・・・・の・・・・」

 声を掛けようとした俺をキッと見据えて、彼女はその溜まりに溜まった心の叫びを吐き出した。

「蟲ですよっ!? 蟲っ!!! あのいかにも蟲と言わんばかりの六本の関節丸分かりの足っ!! 別の生き物飼ってるのかと

突っ込まざるを得ない二本の触覚っ!! 何とかライダーも真っ青の飛び出た蟲目玉っ!! さらには何かを思い起こさせるような

あのガシガシいう口っ!!!」

 ・・・・何とも酷い言われようである。

 ああーーーっっっ!!! 耐えられないっっっ!!! と頭を抱えて仰け反りながら、ユズリハさんは吠えた。

 なるほど・・・・。

 体調が悪かったんじゃなくて、原因はこれだったのか・・・・・。

 などと皆で納得していると、図らずも多少休憩をとれた魔物達が、のそのそとこちらへ移動してくるのが見えた。

「ヤバイっ!」

 いくらダメージを受けているとはいっても、とどめをささない限りその動きを止める事は出来ない。

「や・・・・やめて・・・・来ないで・・・・・」

 なかばパニックに陥っているユズリハさんは、敵を見つめたまま動けずにいる。

「ユズリハさんっ!!退がってて下さいっ!!」

 やむを得ず、彼女抜きで俺達は応戦しようとした。刹那。

「来ないでって・・・・言ってるでしょーーーーーーーーーっっっっ!!!」

 闇を劈くほどの声が聞こえたかと思うと、ビシュッという音と同時に目の前の魔物が一匹、真っ二つになっていた。

 後ろにいたはずのユズリハさんが、いつの間にかその巨体の前で、ゼハー、ゼハー・・・と大きく息衝いている。

「ユ・・・・ユズリハさん?」

 彼女の姿が、ユラリと揺れた。

「大衆言い得ば・・・・即ち救い得ん・・・・言い得ずんば・・・・即ち斬却せん・・・・っ」

愛刀 「朧月」 に、その力が光となって立ち昇る。

「ま、まずいっ! 皆っ! 退がれっ!」

「この私をビビらせようとはっ、百万年早いと知りなさいーーーーーーーーっっっ!!!」

「どわーーーーーーーーっっっ!!!???」

 呪文と共に、彼女の強大な力が現れる。

 ドゴォォォォォン・・・・・という地響きと土煙を上げて、一撃必殺の技が繰り出された。

 全ての魔物が、シュウシュウと音を立てて消えていく。

 が、殆ど混乱したまま力を発動させた彼女によって、俺達まで危うく消えかかった事をここに記しておこう・・・・。






「ふっ、口ほどにも無い」

 先程までの怯える姿は何処にもあらず、そこには何とも勇ましい女性が一人高らかに笑っていた。

 ユズリハさん・・・・あの蟲さん達は、口はきけません・・・・。

「・・・・ガウェイン様。彼女が蟲嫌いだってご存じでしたか?」

「・・・・いや・・・・俺も初耳だ・・・・・」

 技の及ぶ範囲から抜け出す事が出来ずに風圧で飛ばされた俺達は、まるで力尽きた行き倒れのように全員うつ伏せ状態。

 付き従っていた兵士達も例に洩れず、あちこちで人の山を築いていた。

「ううっ・・・・恐るべし、東洋の神秘・・・・・がくっ」

「お・・・・おいっ! フィオっ? しっかりしろっ! 傷は浅いぞっ!」

 さながらコメディ劇場だ。

「わたくし・・・・もう逆らうのは止めた方がいいのでしょうか・・・・」

「・・・・そうですね。それが賢明です・・・・」

 思わぬところで思わぬ人の思わぬ一面を垣間見た時、人はこうなるのだろうか・・・・という顔で、エリーゼ姫は涙した。

 言いたい事は沢山あるが、皆ここは涙を飲むに違いない。

 ええい! こんな所で負けてたまるか! と間違った奮起の仕方をした俺の視界の隅で、誰かがむくっと起き上がる。

「ロ・・・・ロゼータ先輩っ! 大丈夫でしたかっ!?」

「・・・・ええ。私は大丈夫よ」

 流石と言おうか、何と言おうか。

 彼女はおもむろに立ち上がると、汚れた服をぱんぱんと叩き始めた。その表情には少しの動揺も窺えない。

「それより、オージェル」

「は、はい?」

 一度でいいから、この人の慌てる様を見てみたい・・・・と呑気に考えていた俺の耳にとんでもない言葉が聞こえてきた。

「私の情報によると、この迷宮はいくつかの階層に分かれていて、その一つ一つの階は更に数箇所に分かれているらしいの。

そして最深部以外は、それぞれ階ごとに同種の魔物が待ち構えているそうよ」

「「「「・・・・・・・・」」」」

 ロゼータ先輩の、どこからともなく仕入れられた全然嬉しくない情報に、その場の誰もが凍りつく。

 つまり。

 しばらくの間は蟲から逃れられない運命だと。

 皆の頭が何となく項垂れて見えるのは、多分気のせいではないだろう。

「ここはもう安全です! さあ、先へ急ぎましょう!・・・・って、オージェルさん?それに皆さんも。どうかなさいましたか?」

 何かが吹っ切れたかのようなユズリハさんが、実に清々しい笑顔で声を掛けてきた。

「いえ・・・・何でも・・・・」

「・・・?・・・そうですか。それでは皆さん、参りましょう!」

 返事の変わりに溜め息が聞こえてきたのも、きっと気のせいではないだろう。

「オージェル・・・・頑張れよ・・・・・」

 ポンッと肩を叩かれた先にあるのは、同情するぞ、というガウェイン卿の苦い顔。

 暗雲はまさに、俺の頭上にも黒く立ち込めようとしていた。






 ピンチに陥るのは、果たしてどちらによってなのか。

 答えは神のみぞ知る、だ。








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                 何となく、虫嫌いってこんなカンジだよね・・・・・っていうお話。(笑)
                 私も駄目ですよ・・・・虫・・・・。(涙)