「 兄弟 」
この間から、兄さんの様子がおかしい。
正確にはマスタング大佐から資料を受け取る為に東方司令部に行ったあの時から。
話していても上の空な時があるし、たまに外を眺めてボーッとしていたかと思うと、急に赤くなりながら首を
ブンブンと振ったりして。
何かあったのかと聞いても、困ったような顔をして何でもないと笑うばかり。
きっと僕には話せない事なのだろうと、ずっと黙っていたけれど。
でもね、兄さん。
僕は見てしまったんだ。
あの日、司令部から帰ってきた兄さんの首筋に、誰かの存在が刻まれているのを。
そして、それは・・・・・・。
* * * * * * * * *
「あー・・・・何か気が重い・・・・・」
「仕方ないでしょ?兄さん。定期報告は欠かせないんだから」
「・・・・・・まぁ、そうなんだけどさ・・・・・・」
東方司令部へと向かう列車の中。
兄さんは窓枠に頬杖を付きながら盛大な溜め息をついていた。
軍属ではあるものの大佐のお陰でかなり自由にさせてもらっている代わりに、兄さんはこうして定期的に
経過報告する事を余儀なくされている。
国家錬金術師が軍の狗とはいえ、やはり軍部へと足を運ぶのは気が進まないのだろうと僕は苦笑した。
でも、今回は多分そればかりでは無い。
「大佐が・・・・・」
「えっ!?大佐っ!?」
ほらね。
車窓に流れる景色を見送っていた兄さんに聞こえるか聞こえないか位の小さな声で呟いただけなのに、
その単語が出ただけですぐさま反応してこの動揺振り。
自分では普通にしてるつもりでいる所が、らしいと言えばらしいのかも。
「この間大佐に会った時に言われたんだ。存在すらしないかも知れないものの為に、君達はいつまで旅を
続ける気だ、って・・・・」
「あ、ああ・・・・その事か・・・・。それだったら俺も言われたよ。そろそろ腰を落ち着けたらどうだってな。
全く、冗談も休み休み言えっての!」
文句を言う兄さんの顔は心なしか赤い。
僕は確信した。
間違いない。
やっぱり相手は大佐だ。
何がどうなってそういう事になっているのか分からないけれど、少なくとも二人の間に一定以上の関係がある。
絶対に真意を確かめなくては。
幸いと言おうか、鎧である自分の体のお陰で兄さんに表情を読まれる事は無い。
急に大佐の話題を持ち出した僕をさして気にとめることも無く、列車は徐々に目的地へと近付いていった。
「あ!いっけねーっ!次の査定の手続き忘れてたぜ!アルっ、悪いけど先に大佐の所に行っててくれ!
終わったら俺もすぐに行くからっ!」
「うん、分かった」
イーストシティ、東方司令部。
長時間列車に揺られてそこにようやく辿り着いた時、兄さんは、しまった!という顔で慌てて僕にそう言った。
国家錬金術師が年に一度必ず受けなくてはいけない査定の手続きを、すっかり忘れていたのだ。
仕方ないなぁ、と言う暇も無く、あっという間に駆けだして小さくなっていく兄の後姿。
ほんとにそそっかしいんだから。
・・・・・それにしても、一人で大佐の所か。
思いがけずチャンスが早くめぐってきた事に感謝して、僕は正面入口を目指して歩き始めた。
勝手知ったる司令部内のいつもの部屋に向かった僕は、見知った面々への挨拶もそこそこに大佐の居る
執務室へと通された。
毎回の事なので、今日はどうした、と聞かれることも無い。
「やぁ、アルフォンス君。元気だったかね?」
「こんにちは、マスタング大佐」
いつもと変わらない、いつもの挨拶。そつのない笑み。
だけど僕は知っている。その笑顔の下に隠されたもう一つの素顔を。
だってそれは、きっと僕と同じものだから。
「ん?今日は君の兄さんの定期報告の日だった筈だが、彼はどうしたんだい?」
「兄さんは次の査定の手続きを忘れてたとかで・・・・すぐに来ると思いますけど」
「またか・・・・全く、相変わらずだな」
瞳を少しふせて発せられた言葉とは裏腹に、彼の顔には良く見なければ分からないような微かな微笑みが浮かぶ。
でもそれは、皮肉からくるものでも、諦めからくるものでも無いのだと、僕には分かった。
「立ち話もなんだから、そこに掛けていたまえ」
促されて、ギシッと音を立てながら大佐の執務室に置かれている黒いソファに腰を下ろす。
僕が座っても殆ど傷みを見せない皮のソファに感心しながら、横のワークデスクに目を向けた。
ここへ来るたびに、一体どこから湧き出てくるのかと不思議に思うほど、山と積まれている彼の机の上の大量の書類は
今日も健在だった。
「大変ですね、忙しそうで」
「ん?ああ。ま、これも仕事の内だからね」
眉間に皺を寄せながら面倒くさそうにペンを走らせている大佐に声を掛けると、机上に片肘をついて目線を下に落としたまま
返事が返ってくる。
「僕、話してても邪魔じゃないですか?」
「全然構わないよ。子どもがそんなに気を遣うもんじゃない」
一通り書類に目を通して、カリカリと何かを書き込んで。
手を休める事無く同じ動作を繰り返しながら、彼は相変わらず下を向いたまま仕事を続けた。
「今日はホークアイ中尉は居ないんですね」
「・・・・何故?」
「あ・・・大抵ここに来ると中尉の姿があったから・・・・」
僕の言わんとするところを悟った大佐が苦笑する。
「中尉は昨日からセントラルへ出張中だよ。彼女もそうそう私の監視ばかりしてる訳にはいかないからね。
さて、ひと段落ついた事だし、お茶でも淹れてあげよう・・・・と、すまない。君は飲めないんだったな」
「あ、お気遣いなく」
肩をコキコキと鳴らしながら立ち上がった大佐は、棚に並ぶティーセットを取り出し始めた。
主の居なくなった机に再び目をやる。
ひと段落・・・ついているんだろうか、あれで。
僕がこの部屋に入ってから、そう時間が経っている訳ではない。当然仕事だってそんなに進んではいないはずだ。
事実、書類の山は少しも減ったようには見えない。
「悪いね。つい、いつも鋼のに話しているような感覚だったものだから」
「いえ。大佐こそ、僕にそんな気を遣わないで下さい」
向かいのソファに腰を下ろした彼は、温かい湯気の昇る紅茶を一口啜った。短い沈黙が流れる。
「・・・・そろそろ、聞かせてくれてもいい頃だと思うが」
「え・・・?」
「君がここへ一人で来るからには、何か思惑があっての事だろう?」
彼の口角が少しだけ上がった。全て見抜かれているわけか。
いきなり核心をついた話は避けるべきかと思い、とりあえずずっと気になっていた事から聞いてみようと、すぐにでも
問い詰めたい気持ちを抑えながら改めて大佐と向き合った。
「・・・・僕の気のせいかも知れませんけど、兄さんが定期報告でここへくる時、いつも中尉が居ないように思うんですよね。
普段僕達が不定期に司令部に来るのと違って、この報告に関しては次回の日時をあなたに指定される。決まって中尉の
姿が見えないと思うのは偶然ですか?それとも・・・」
「偶然じゃなかったら、何だと言うのかね?」
「それは、あなたが一番良く知ってるんじゃないですか?」
挑戦的になってしまった僕の言葉にも、大佐の感情が乱される事はない。
彼はフッと笑いながらカップを口元へと運ぶ。
「・・・・偶然だよ。たまたま彼女のスケジュールがそうなっていただけの事だ」
嘘だ。
何の根拠があってと聞かれても困るが、彼の言っている事は嘘だと僕には分かる。
「・・・・大佐は・・・・どんな女性のタイプが好みなんですか?」
質問の意図が分からない、とでも言いたげに、訝しむ瞳がこちらを見た。
「随分と唐突だ。でも、そうだな・・・・。私には特に好みというのは無くてね。言ってみれば、全てが好みのタイプで
全てが違う、といったところか」
「それじゃあ、恋人にするなら?」
「・・・・恋人か・・・・」
大佐の瞳が、一瞬揺れた。
それでも尚、相手に心を読ませようとはしなかったけれど。
「兄さん・・・・兄に・・・・好きな人ができたみたいなんです」
残り少なくなったカップの中身に視線を落としていた大佐が、ついっ、と顔を上げた。
「・・・・ほう。何故、そうだと分かる?」
「見てればすぐに分かります。その人の名前を耳にしただけで、赤くなったり慌てたり。時々でる溜め息も、きっと
その人を想っての事だろうから」
「彼ももう15だ。恋のひとつもするだろう。君が気を揉むことはないんじゃないか?」
「相手によります」
「・・・・何が言いたいんだね?」
不敵な笑みは崩れない。きっと彼にとって14の子どもを軽くあしらうなど造作も無い事なのだろう。
でも、僕だってここで引き下がる訳にはいかない。
「兄が好きになった人をとやかく言うつもりはありません。本当に好きになったのなら、喜んで祝福してあげたいと思う。
でも、もし相手が本気じゃなかったら・・・・もし、ただ弄んでいるだけだとしたら・・・・僕はその人を許せません。
短気で、熱くなりやすくて、単純で。でも、純粋で、傷つきやすくて、優しくて。そんな兄を、遊び相手にしているのだと
したら・・・・僕は、その人を殺すかも知れない」
「・・・・穏やかじゃないな」
「覚悟の問題です」
「なるほど」
カチャッと音を立てて空のカップを置き、大佐はおもむろに立ち上がると眩しい日差しの差し込む窓際へと歩いていく。
照りつける太陽の光に少しだけ両目を細めて、ゆっくりと手を後ろで組んだ。
「それで、君はその相手が誰なのか分かっているのか?」
「・・・・ええ、何となく」
「そうか」
ふと、窓の外の何かに気付いたように大佐の瞳が動いた。その直後、まるで愛しいものでも見るかのような温かく優しい
彼の表情に思わず息を飲む。
この人のこんな顔を見るのは初めてかも知れない。
「アルフォンス君」
「はい?」
僕を呼んでから一呼吸おいた後、ほんのわずかの間だけ瞳を伏せて、大佐は言った。
「君の言ってる事は、多分杞憂に終わるだろうな。さっきの君の言葉じゃないが、それこそ、あんなに純粋で真っ直ぐな
彼を裏切るような真似は、誰に出来る筈も無い。まして、それが恋愛となれば尚更ね」
「・・・・本当に、そう思いますか?」
「賭けてもいい」
「そうですか。・・・・あなたが言うなら、きっとそうなんでしょうね」
今の大佐の言葉に嘘は無いのだろう。少なくとも僕にはそう思えた。
それだけ聞けたなら、もう僕には何も言う事は無かった。
望むのは、愛する者の幸せ。
その時、廊下の先からカツカツという靴音が響いてきた。兄さんだ。
「兄が来たみたいですね。僕はこれで失礼します」
「そうか」
だんだんと大きくなる靴音が扉の前でピタッと止まり、僕と大佐が同時にそちらを向くと、ノックの音が二回聞こえた。
「入りたまえ」
「失礼します・・・・っと、アルっ。待たせたなっ」
扉が開いた途端、兄さんのはにかんだような笑顔が飛び込んでくる。
ねえ、兄さん。知ってる?僕はその笑顔を見るだけで、とても幸せな気持ちになれるんだ。
「兄さん。手続きはもう終わったの?」
「ああ。少し手間取っちまったけどな」
僕に向かってだけニカッと笑った兄さんの態度に、大佐は右手を額に当てて、はー・・・っと溜め息をついた。
「・・・・毎度の事とはいえ、どうして私に対してだけろくに挨拶も無いのかね、鋼の」
「るせーなっ。毎度の事だって分かってんなら、いちいち固いことゆーなってんだ」
「そういう問題じゃないだろう。全く、私と君はあんなにも熱く睦み合ったと・・・・」
「うわーーーっ!!!うわーーーっ!!!いいいいきなり何を言い出すかっ!このアホ大佐っ!!!」
ゼハーゼハー、と肩で息をしながら、兄さんは顔も耳も真っ赤になって怒鳴った。
そんな事しなくても、もう全部聞こえてるよ。っていうか、バレてるよ。
「アアアアルっ!今のはこいつの単なる妄想でっ」
「こいつとは何だ、失敬な」
大佐が形ばかりのムッとした表情を見せる。その口元は楽しそうに笑っていた。
沈黙させるとばかりに振り回された兄さんの腕は肩を難なく押さえ込まれて、悲しいかなあまりのリーチの差の前に
見事撃沈した。
ほんとに兄さんらしいよ。らしすぎて、可笑しくて、涙が出てきそうだよ。
「兄さん。僕は先に帰ってるから、ゆっくりしてきなよね」
目的は果たした。これ以上ここに留まるほど、僕は無粋じゃないつもりだ。
「えっ!?ちょっ、ちょっと待てよ!俺も一緒に・・・」
「君はまだ報告が残っているだろう?」
ガシッとコートの襟首を掴まれて後ろから羽交い絞めにされ、兄さんはジタバタと暴れる。
ソファから腰を上げると、大佐と目が合った。
「・・・・泣かせたりしたら、僕はさっき言った事を実行します」
「・・・・肝に銘じておこう」
「なっ、何をっ!?」
訳が分からない、と兄さんは僕と大佐を交互に見た。いいんだよ。兄さんは何も知らなくていいんだ。
相変わらずもがいている兄さんを残して、僕はゆっくりと足を踏み出した。
「そういえば大佐。痕をつけるなら、見えやすい所は止めた方がいいですよ?嫉妬に狂った誰かさんに闇討ちされる
かも知れませんからね」
「・・・・ご忠告、痛み入るよ」
「だから何がっ!?」
司令部を後にして宿へと向かう道すがら、通りを走りながらはしゃいでいる幼い兄弟の姿を目にした。
どこで遊んできたのか彼らの服は泥だらけで、でもそんな事は全然気にならないといった風に、明るい笑顔で駆け回る。
懐かしいリゼンブールでの光景を思い出す。まだ母さんが生きていて、とても楽しかったあの頃を。
ケンカをして負ける度に、兄さんは悔しそうに地団駄を踏んだ。次は絶対に負けないからな、と。
それから何度もケンカをしたけれど、いつも勝つのは僕だった。
でもね、兄さん。僕は、勝敗なんてほんとはどうでも良かったんだ。
あの頃。何も無い小さな街で、母さんと僕と兄さんと。
それが、世界の全てだった。誇りだった。願いだった。
だから僕は祈るよ。
世界の、全てに。
「理解ある弟に感謝してよね、兄さん」
髪を少しだけなびかせるような風を鋼鉄の鎧に受けた時に流れたものは、もしかしたら失くした涙なのかも知れないと、
一瞬だけ、そう思った。
END
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お題No52「恋」の続編的お話。
少しずつ離れていくお兄ちゃんへの複雑な想いです。
もうちょっと黒アルにしたかったんですけど、挫折しました・・・。