ありがとう  2











 青く澄みきった空に優しく吹いた風が、彼女の髪をふわりと軽やかに撫でていく。

 静かに、とてもとても穏やかな声で。

 ロゼータは己の身に降りかかった、聞く者が思わず耳を塞ぎたくなるような残酷な現実をゆっくりと語り始

めた。

「生まれつき魔力が強かった私は、言葉もろくに話せぬ内から様々な現象を起こしては周囲を驚かせまし

た。 二親とも魔術師だったせいか、最初は、それをとても喜んでくれたんです。 いつか名のある術者にな

るだろうと。 けれど・・・・・・そのあまりにも許容範囲を越えた様子に、彼らはいつしか怖れを抱き始めた。

 自我の確立していない人間が力を使えば暴走は免がれない。 善悪の判断もつかず、時と場所も選ばな

い。 当たり前ですが、コントロールも出来ずに魔法を発動させた姿は、赤ん坊にはおよそ不釣り合いな、そ

れは禍々しい光景だったそうです」

「ちょ・・・・・・ちょっと待て・・・・・・魔力なら誰だって多少持ち合わせた状態で誕生するだろう。 力とて、そ

れぞれ個人差というものがある。 それの何がいけない」

 この国の民は、連綿と受け継がれた魔力を体内に備えて生を受ける。 子どもの能力がその後の生活

環境によって大きく左右されるように、魔力もまた努力次第でいくらでも才能を伸ばすことが出来るのだ。

 可能性は無限大で、とどのつまりは剣技を極めるのとなんら変わるものではない。

 にも関わらず、そこまで理不尽な境遇を強いるなどとは、どういう了見か。

 彼女の言う意味が理解出来ずに、俺は自分の中で当然の意見を述べる。

「・・・・・・これを見て下さい」

 すい、と、彼女が右手を差し出してきた。

 次の瞬間、ロゼータの手の平の上で目を開けていられぬ程の強い白光が輝き出す。

 全てを無に帰す白。 光が周囲の景色を瞬時に消し去る。

 あまりの眩しさに目が眩み、俺は思わず逃げるようにして顔を背けた。

「すみません・・・・・・もう、大丈夫ですから」

 シュウシュウという音と共に聞こえた彼女の声に安堵し再びその手の平を見ると、あの強烈な光は既に

消え去っていた。

 剣ばかりでなく魔力までこれだけのものを持ち合わせている。 いや、むしろこれなら魔術師として才能を

開花させるべきではないのかと、俺でさえそう思わずにはいられぬくらい彼女は力を漲らせていた。

「・・・・・・驚いたな・・・・・・まさかお前がこれほどのものを持っていようとは ―――――― 」

 そこまで言って、はっとした。

「まさか・・・・・・まさかとは思うが・・・・・・これを、最初から・・・・・・?」

 己の導き出した答えを否定して欲しいと見つめた先で、けれどロゼータは強張った面持ちで小さくコクンと

肯いた。 出された結論があまりに大きすぎて俄かには信じ難い。 しかし、その証として現にロゼータはこ

こに在る。

 俺はそれ以上何も言えなかった。

 確かに、生まれて間もない赤ん坊がこれほど強力な魔力を帯びていたとするなら話は別だ。 たった今、

目の前に現した彼女の力は、おそらく成人した並みの魔術師でさえ発動させるのは困難だろう。 魔術師

の能力は、その身体から沸き起こる力の大きさがそのまま光の強さとなり表れ出でる。 つまり、その発光

力が強ければ強い程、魔力もそれに比例して強大だということだ。 ロゼータが発した光は、ともすれば目

を潰されてもおかしくないほどの、それほどまでに凄まじい威力をこんこんと湧き出る泉のように溢れさせ

ていた。

 この力を全力で発揮したならば、おそらく都市の一つも消すのは造作もないことだろう。 両親が、自らの

子であるにも関わらずその恐るべき力ゆえに畏怖の念を抱いたとしても、それを責めることなどきっと誰に

も出来はしない。 驚きすぎて声も無い俺を余所に、彼女は続けた。

「両親の顔など知らぬも同然の私は、母方の縁で叔母夫婦に引き取られました。 彼らは割と名のある魔

術師でしたから、多分そこでなら、こんな私でも普通に暮らせると思ったのかも知れません」

「・・・・・・そうでは無かったと言うのか・・・・・・?」

 だった・・・・・・と過去形で話す彼女が、もはや痛々しくて見ていられなかった。 そこから先は流石に俺で

も容易に想像がつく。 彼女の最初の言葉は、おそらくここに関わってくるのだ。

 このまま言わせて良いものかどうか迷ったが、真っ直ぐに俺を見つめる彼女の瞳が、まるでお願いだから

聞いてくれと懇願しているように見えてならなかったからなのか、あえて黙して彼女の言葉を促した。

「・・・・・・どんなに大きな力を持った術師だとしても、彼らからすれば異端は所詮どこまでいっても異端なん

です。 それを思い知らされたのは、私が十の時でした」

「・・・・・・・・・・・・」

「叔母夫婦は、最初の内こそ親切にしてくれましたが、やはり私の持つ力を恐れている事に変わりはあり

ませんでした。 だから私は、あえてその力を封印し、決して表に出さぬよう気をつけていました。 けれど、

その努力も徒労に終わった。 きっかけは、ほんの些細な出来事でした。 叔母夫婦には私と年の近い娘

がいたんですが、ある日、彼女が病に侵され高熱にうなされて・・・・・・叔母夫婦は、直ぐに医者に診ても

らおうとしました。 けれど、その日は生憎どの医者も往診に出掛けたままでなかなか戻っては来なかっ

た。 そうしている間にも彼女の容態はますます悪くなっていく。 そこで叔母達はやむを得ず、最後の手段

として私の力を求めてきたんです」

 その時の様子が思い出されるのか、ロゼータの声は微かに震え、その表情は目に見えて青褪めていっ

た。 茨の道を自ら進み傷つこうとする心の悲しさは、いかばかりであるのか。

「ロゼータ、それ以上はもう ―――――― 」

 それでも、止めろと言おうとした俺の言葉を遮り、彼女は尚も続ける。

「初めて自分の力が役に立つのだと・・・・・・私はとても嬉しかった。 自分の持てる全てを駆使して、彼女

の身体に力を注ぎ込みました。 けれど、遅かったんです・・・・・・彼女はそのまま帰らぬ人となった。 叔母

夫婦の悲しみは、それは深いものでした。 特に叔父は・・・・・・一人娘だったせいもあるのでしょう。 彼女を

失くした日から人が変わったようになってしまって、そんな二人の悲痛な叫びは、直ぐに私へと向けられま

した。 何故、救ってくれなかったのか。 何故、死なせてしまったのか。 最終的には、お前が殺したんだろ

うと何度も罵られました」

「っ・・・・・・馬鹿なっ! そんなもの、お前のせいである訳が無い!」

 彼女の長い睫毛が悲哀に震えた。

「人は・・・・・・絶望し悲しみに耐えられなくなった時、何かしらの救いを求めずにはいられない。 彼らは、

私を罪人に貶めることで心の均衡を保とうとした。 それが分かっていたから、私も甘んじてそれを受け入

れた。 でもあの時、とうとう、それが崩れてしまった。 精神を病んだ叔父が、私の首に手をかけ、殺そうと

した瞬間に」

「っ・・・・・・!!」

「私は必死で逃れようとしました。 逃れて逃れて・・・・・・気がつくと、血塗れた叔父が事切れて床へと倒

れていた・・・・・・目の前に広がる光景が信じられなくて・・・・・・いいえ、信じたくなくて・・・・・・私は直ぐに

叔母の姿を捜しました。 けれど見つけた叔母は、暴走した私の力の影響を受けたのか、彼女もまた絶命

していた。 あれほど嫌った忌まわしい力が、結果的に自分の命を救ったんです。 ただ一人、私の命だけ

を」

「もう、いい・・・・・・もう、止めてくれ・・・・・・頼むから・・・・・・もう・・・・・・」

 何と言っていいのか分からない。

 これだけの告白をするのに、彼女は一体どれだけの時間を苦しんできたのだろう。

 誰にも頼らず、誰にも理解されず。

 いつ折れてしまうとも知れない、たった一人で重荷を背負った細い肩は、一体どれだけの痛みに耐えて

きたのだろう。

「それから四年の間、私は二人を殺めてしまった家にずっと棲み続けました。 自分への戒めと、何より、彼

らを忘れ無い為に」

 ロゼータの瞳から、涙が一粒零れ落ちた。

「私・・・・・・怖かった・・・・・・人を信じるのも、信じられるのも・・・・・・怖くて、怖くて・・・・・・でも、いつも寂し

くて・・・・・・何より、あなたに軽蔑されたらと・・・・・・」

 白く透き通った肌を濡らす涙は、止まることを知らぬかのようにいつまでも流れ続ける。

「初めて出会った日・・・・・・あなたは荒みきった私の目を逸らすことなく・・・・・・真っ直ぐな視線を向けてく

れた・・・・・・その迷いの無い瞳に私がどれだけ救われたか、きっとあなたは知らない・・・・・・だから、あな

たにだけは・・・・・・どうしても、聞いて欲しかった・・・・・・そうすれば、醜く汚れた私の心も・・・・・・もしかし

たら・・・・・・私は・・・・・・」

「やめろっっ!!」

 衝動のままに、俺は彼女を抱き締めた。 罪の意識に飲み込まれ消えてしまうのではないかと、本気で

思った。

「お前は何も悪くない。 ただ、自分を守っただけだ。 ただ、それだけだ」

 俺は彼女を抱く手に力を込めた。 折れそうに細い身体が、あわよくば憂いを現実に変えてしまいそうで、

音も無く忍び寄る恐怖にぞくりと戦慄が駆け抜けた。

「醜いなどと・・・・・・断じて無い・・・・・・ お前は、誰よりも美しい」




 重なり合う体から、柔らかな温もりが伝わる。

 確かな存在に、ほっと胸を撫で下ろす。

 いつまでもこうしていられたら、自分はどんなに幸せだろう。




「ガウェイン、様・・・・・・」

 戸惑いを含む声に呼ばれ我に返り、俺は慌てて彼女の身体を解放する。 そこで、はたと気がついた。

 いくら感極まったとはいえ、うら若き女性をいきなり腕に抱いてしまうとは何たる失態。 おまけに、何やら

要らぬことまで口走った気がする。

「す・・・・・・すまん! これはっ・・・・・・その、謝って済む問題ではないが・・・・・・とにかく悪かった!」

 バツの悪さに思わず慌ててしどろもどろと言い訳をすると、ロゼータは少しだけ顔を紅潮させふるふると首

を振った。 しかしそれだけで何も話さぬ彼女に、どうにも収まりが悪く落ち着かない気分になってくる。

 だが相手は想いを寄せ恋焦がれる女性なのだから、それも無理からぬというもの。 この際、十も年が離

れていることには目を瞑って貰うしかない。

 とはいえ、彼女がまだ十代であるのを思うと、自分はいわゆる少女趣味という部類に入るのだろうか。

 ・・・・・・最悪だ。 いや、むしろ犯罪だ。

 そしてもっと最悪なのは、初めて感じるこの胸の高鳴りを鑑みるに、自分はこの年にしてやっと恋を経験

したという化石級の事実。 遅過ぎるにも程がある。

「あの・・・・・・」

 思わぬ所で己の性癖を発見する羽目になり頭をぐるぐるさせているところに、ロゼータからいっそ控え目

な声が上がった。 心なしか彼女の頬の赤みが増している気がする。

「な・・・・・・なん、だ」

 混乱しているせいで俺の声もかなり上擦った状態だ。

「さっきの話・・・・・・本当ですか?」

「さっき・・・・・・?」

 さっきとは、一体どれのことを指しているのだろうか。 彼女はもじもじと更に頬を赤くする。

「ですから、私が・・・・・・あの・・・・・・美しいと・・・・・・本当に?」

「!!」

 忘れてくれればとの願いも虚しく、どうやらしっかり覚えていたらしい。

 しかし。

「あぁ・・・・・・本当に、美しいと思う」

 それは、俺の偽らざる心。

 感情だけは奥底に秘め、俺は思った通りを口にした。

「俺はこういうのが苦手でな・・・・・・上手くは言えないんだが・・・・・・初めて出会った時から、お前は俺の

目にとても眩く映っていた。 だから、お前が自分を卑下する必要など何処にもない。 ・・・・・・尤も、俺など

に賞賛されても、嬉しくはないだろうが」

 最後は自嘲気味に呟くと、ロゼータはまたもや首を振った。

「いいえ、嬉しいです」

 甘い響きに、ごくりと息を飲む。

 声に反応した訳ではない。 初めて彼女が自分の前で微笑んだのだ。

 感動にすら近かった。

 笑みを浮かべた彼女の瞳は、想像通りの眩しい輝きを放っていた。

「とても嬉しい」

 それだけで、いい。

 返ってきた言葉が、それがただの感謝にすぎないと分っていてさえ、俺の心は温かく満たされた。

 それだけで充分だ。 例え、未来永劫この苦い想いを抱え続けるとしても。

 恥ずかし気に睫毛を伏せる様は、もう幼い少女などではない。

 彼女は大人の、一人の可憐な女性だ。

 だからこそ、この想いに気付かれてはならない。 彼女の未来はこれからだ。 好きな男と恋に落ち、やが

て愛を知り命を育む。 ならば、ここで枷となる訳にはいかない。 無限に広がる世界へと導いてやるのが、

きっと自分に与えられた役目なのだから。

「今後も、手加減無しでお願いします。 私、必ず強くなって見せますから」

「・・・・・・望む所だ」

 その瞳に、もう迷いは見られない。

 この先も、彼女の哀しみが癒える日はおそらく来ないだろう。

 それでも、軽やかな足取りで走り去るその後姿に、願わくば幸福が訪れるようにと。

 そう祈らずにはいられなかった。









   +   +   +









「ロゼータ! ロゼータ!」

 もうすぐ日没を迎え、外気が急速に冷え込もうという時刻。

 俺は姿の見えないロゼータを捜し城内をウロウロと歩き回っていた。 このところ体調の優れない彼女は

滅多に遠出をすることも無く大人しく城で過ごしていたのだが、時々こうして所在の分からなくなる時があ

り、その度に俺は今と同じ行動を繰り返している。

 もちろん、いい大人を掴まえて流石に自分でも過保護だと思うのだが、そうも言っていられない事情があ

るのだ。

「ガウェイン様!」

 何処へ行ったのかとやきもきしながら廊下を歩いていると、その先の一つの扉から顔を出してこちらに向

かい手招きする人影があった。 フィオだ。

「こっちです、こっち」

 三日と空けず同じような、見ようによっては奇行と言えなくもない上司の姿を捉えた彼女は、またかとい

う微妙な表情をして笑っている。

 が、この際、自分がどう思われようと、そんな事はどうでもいい。

 ともかく、今日の遠征先はフィオの部屋。 だとすると、多分オージェルも一緒なのだろう。

 半ば確信的に彼女の部屋の前で形ばかりのノックをすると、中からは楽しげな笑い声が聞こえてきた。

 案の定、室内にはオージェルとフィオ、そして二人に向かい合うソファの位置でロゼータがゆったりと寛い

でいる。 その穏やかな姿に、俺は安堵の息を吐いた。

「ガウェイン様、お疲れ様です。 ちょっと先輩を借りてます」

 そう言ったオージェルの方が、むしろ疲れているように見えるのが気の毒でならない。

 相も変わらず、いいように遊ばれているだろう状況が想像できてしまい思わず苦笑する。

「ガウェイン様もいかがですか?」

 目の前に広がるお茶や菓子類を勧めつつ、ロゼータがふわりと微笑む。

 探し回ったこちらの労力など知りませんという顔だ。 まぁ、それもいつものことではあるのだが。

 諦めモードでやれやれと一つ溜め息をつき、俺は手にしていた厚手のショールをロゼータの背に一枚羽

織らせた。

「そろそろ日も暮れてくる。 冷やさんようにせんとな」

「はい」

 嬉しげに笑みを浮かべ、彼女は肩にかかるショールをそっと両手で引き寄せる。

 大切な物を慈しむ。 そんな仕草のロゼータがとても愛おしい。

 俺は彼女の華奢な肩にそっと手を置いた。

「お前が出していた一時離団の願いは本日付で受理された。 それと、休暇用に部屋を一つ賜った。後で

見てみるといい」

「有難うございます」

「離団? あの・・・・・・どういうことですか?」

 そんな話は聞いていないという顔で、オージェルが困惑気味に尋ねてきた。 隣に座るフィオに至っては、

そこまで驚くこともあるまいというくらい目を丸くしている。

 さもありなん。 何しろロゼータは、これが天職と言わんばかりの商才を発揮し、これまで数々の功績を上

げている。 もちろん中にはいわゆる暗部も含まれるのだが、だがそれこそがまさに彼女の突出した能力で

ある為、ともすれば危険と隣り合わせな行為も絶対的信頼のもとに委ね、国はここまで歩んできた。

 彼女がいたからこそ、戦を余儀なくされた国の疲弊も最小限で済んでいる、と言っても過言ではない。

 尤も、それを知る者は国内でも極一部の人間に留まるが、だからこそ、その当事者たる彼らには突然の

事態で俄かには受け入れ難いのだとは思う。

 だが、ここは何が何でも聞き入れて貰わなければ俺が困る。

 何故ならば ――――――

 ロゼータは艶やかに微笑んだ。





「私ね・・・・・・妊娠してるの」





 はたから見ても、およそ身篭っているようには思えぬ細い身体。 その腹部に手を添え、微かに頬を染め

てウフフとはにかむ彼女の告白に、シン・・・・・・と静まり返る室内。

 次の瞬間、決して広いとは言えない部屋中に声にならない絶叫の嵐が飛び交った。

「どっ・・・・・・どっ・・・・・・どっ・・・・・・」

「どどど?」

「どういうことですかっっっ!!!???」

 呼吸困難よろしく言葉を詰まらせたオージェルの揚げ足を取り面白がるロゼータは、「そのままの意味だ

けど」 と、にこやかに笑うばかりで、まるで答えになっていない。 毎度のことではあるが玩具にされるオー

ジェルに、心の中でほろりと同情せずにはいられなかった。

「ニンシン・・・・・・先輩が・・・・・・妊娠・・・・・・」

 一方フィオは、二重の驚きに引き攣った笑顔のまま固まった。 その気持ちは分からんでもない。

 彼女を少しでも知る者ならば、これほどかけ離れた単語もないと思うだろうからな。

「そういう訳だから、後は宜しくね」

 ちょっと待ってくれ聞きたいことが山ほどあるんだ ――― という顔をした彼らを残し、俺達は質問攻めに

合う前にフィオの部屋から退散した。

 が、遅かれ早かれ明日には城中に知れ渡るところとなるだろう。

(まさに嵐の前の静けさだな・・・・・・)

 そんなことを思いながらロゼータと二人、夜の闇が訪れる長い廊下をゆっくりと歩いた。










 ロゼータの部屋に戻り、すぐに暖かな炎を灯す。

 少々疲れたらしい彼女は、それでも揺らめくオレンジやパチパチと爆ぜる音が心地良いのか、ベッドでは

なく暖炉前に置かれた椅子にゆったりと腰を下ろした。

 夕食の時間には、まだ間がある。 それまで、しばし二人きりの穏やかな時を持てそうだと、俺はまた幸

せの余韻に浸ってしまう。

「身体は大事ないか?」

 普段から無理をしがちな彼女にそう声を掛けると、ふわりと柔らかな笑顔が返ってきた。

「えぇ。 何ともありません」

 ゆらゆらと燃える炎の影を受けながら、愛しげに自分の身体を見下ろす彼女。

 神々しくさえ映るその姿に惹き寄せられ、そっと、小さな命が宿る場所に耳を当ててみた。

 抱きつく形で顔を埋めた俺の肩や背に、彼女の手のぬくもりが伝わってくる。

 寄せた耳に感じられる静かな呼吸が、どこまでも深い安堵を与えてくれた。

「・・・・・・まだ何も分からないな」

 真剣にそう呟いた俺に目をぱちくりさせ、ロゼータは呆れたように笑う。

「いくら何でも早すぎです」

「そういうものか・・・・・・」

 彼女は尚もくすくすと笑い続けた。 訪れた幸福に浮かぶ笑顔は眩い。

 何だか俺までつられて笑いそうで、それと同時に別の感情も込み上げる。

 泣き出したいほど愛おしいとは、こんな瞬間なのだろうか。

 そっと手を差し延べると、彼女の声がふいに止んだ。 澄んだ紫の瞳に俺の姿が映し出される。

 どちらからともなく、唇を重ねた。

 最初は啄ばむように優しく。

 そして奪うように激しく。

 やがて吐息が甘くなる頃、彼女の身体をそっと抱き上げて寝室へと向かう。

 華奢な腕を俺の首に回し、その首筋へと顔を埋めてくるロゼータの仕草が、これからの濃密な時間

を思い起こさせ、いやがうえにも期待に胸が高鳴ってゆく。

 ギシリとベッドを軋ませ、ロゼータの身体を静かに下ろし自分も隣に収まった。

「今朝・・・・・・お前の夢を見た」

「私の?」

 唐突な話に、ロゼータが目を瞬かせる。

「あぁ。 俺達が、まだ出逢った頃の夢だ」

「・・・・・・・・・・・・」

 彼女の瞳が途端に視線を外す。

 その言葉に昔を思い出したのか、それとも無理矢理呼び起こされたのか。 ロゼータはただ黙ったまま

耳を傾けていた。 語らない表情からは、何も読み取れない。 甘い空気を自ら一変させてしまったことに

多少の後悔はあるものの、これは二人にとって避けられる問題ではない。 先送りにしたところで、いつ

かはどこかで歪みが生じる。 そうなる前に、どうしても言っておかなければ。

「お前にとって・・・・・・あの頃のことは思い出したくもない辛い記憶なのだろう。 だが俺には違う。 お前

には悪いが、俺にとっては、死ぬまで幸福な記憶として刻まれる出来事だ。 お前と出逢えた、何ものに

も代え難い、幸せな記憶だ」

 ロゼータが僅かに目を瞠る。

 その強張る身体を引き寄せ、きつく掻き抱く。

「ガウェイン様・・・・・・」

「忘れろとは言わん。 忘れられるはずもない。 だから・・・・・・せめてその苦しみの半分を、俺に預けて

欲しい」

 ふいに震えた身体を、更に強く抱き締める。

 しばらくそうしていると、そっと背中に回された手が次第に力強く俺の上着に皺を刻んだ。

 胸に顔を埋めてくる彼女が、くぐもった声で呟いた。

「怖くは、ありませんか?」

「怖い・・・・・・?」

「だって・・・・・・私の子、なんですよ?」

 言われて、驚いた。 まさか、彼女がそのような考えを持っていたなどとは思いもしなかったからだ。

 魔力には、ある程度の遺伝性は見られるものの、その確率は極めて低い。 亜人に代表されるコトゥーカ

の民とは違い、力の継承と言うよりは、むしろ性質や傾向を受け継ぐ為、能力をどう伸ばすかはあくまで本

人次第。 つまり、血筋による優劣が意味を為さないのだ。

 一代限り、唯一無二の存在として個が在る。 それが、我が国ベルーナ。 彼女の不安も杞憂というもので

ある。 だが、ロゼータに言わせると少々事情が変わってくるのだろう。

 その、畏怖とも脅威ともとれる、強大過ぎる力を持つが故に。

「ロゼータ・・・・・・」

 俺は、一瞬かける言葉を失った。

 確かに、彼女ほどの能力者は自分の知る限りただの一人も存在しない。 それは、国の歴史に於いて

もまた然り。 潜在エネルギーは未知数で、時として危ぶむべき、不安定要素の塊。

 その証拠に自ら問うておきながら、まるで下る審判が恐ろしいとでも言いたげに、ロゼータはそれきり

こちらを見ようともせずに黙り込む。 しかし、その深刻な内容とは裏腹に俺の口元は思わず緩んだ。




 全く、つくづく呆れた娘だ。 答えなど、とうに決まりきっているというのに。




 普段の彼女からは想像も出来ない、俺の前でだけ弱く脆い本音を曝け出す姿が嬉しいのだと言った

ら、果たして愛しい人はどんな顔を見せてくれるのだろうか。

 目の前にある艶やかな髪をそっと掻き分け、小さく、だがはっきりと告げる。

「お前の・・・・・・ではない。 ロゼータ、お前と俺の子だ」

 反応のない彼女を抱く手に願いを込める。 せめて、この想いが伝わるようにと。

「俺が必ずお前達を守ってみせる。 それでも駄目なら運命を共にする。 拒むことは、許さない」

 腕に収まった華奢な肩が揺れて震えた。 言葉にならない声を受け取り、改めて心に描く。

 彼女への告白は覚悟ではない。 そんな大層なものではなく、俺の中ではごく自然な想いだ。

 それが、主君を・・・・・・いつかこの国を裏切る結果に繋がったとしても本望。

 もちろん、彼女に後悔させるつもりもない。

「ロゼータ」

 これ以上焦らされたら敵わない ―――――― その状況を作った己を棚に上げ軽口を叩くと、涙に

濡れた頬を染めてロゼータがそっと顔を上げる。 それでもまだ視線だけは合わせようとしない彼女の

頤をついと引き上げ、紅く誘う唇を容赦なく奪う。 吐息一つ逃がさぬように、甘く、淫らに激しく。

 飲み下しきれぬ体液が伝い落ち、彼女の胸元を妖しく濡らす。

 息の上がった紫の瞳を覗き込むと、喜色を湛えた男の姿が映っていた。

「こうして、お前と人生を共に歩める日が来ようとは・・・・・・俺は幸せ者だ」

 決して手に入れられぬ存在だと心に言い聞かせ、自らを偽ってきた。 苦しさに耐え切れず想いの行き

場を失い、眠れぬ夜を幾度繰り返しただろう。

「ガウェイン様・・・・・・」

 響く音は限りなく甘く、柔らかな唇は、まるで愛を乞う極上の蜜。

「確かめても、いいか?」

 返事も聞かず、早々に押し倒し圧し掛かる俺の意図を察したロゼータの艶が増す。

「赤ちゃんが、驚いてしまいますよ?」

 言いつつも、ふわりと微笑む彼女の両腕は行為を促すように俺へと差し伸べられた。

「愛情を知る、いい子に育つのは間違いないな」

 抜け抜けと言い放つ俺に、呆れたロゼータの瞳が数度瞬く。

 許可を得た男の行動はますますエスカレートし始末に負えないものだ。 これからの人生に於て、彼女

はその事実を嫌というほど思い知ることになる。

 口づけを繰り返す間にも、お互いの衣服を全て脱ぎ去る。 生まれたままの姿で肌を合わせ、この瞬間

の喜びを噛み締めた。

 溺れてしまう前に、どうしても伝えたい。

「俺を選んでくれて、とても幸せだ」

「私も・・・・・・私を選んでくれて、とても嬉しい」

 上がる息に胸を喘がせ、それでもはっきりと彼女は言う。 きっと今、俺は泣きそうな顔をしているに違い

ない。 彼女の表情が、それを物語っていた。




 ロゼータは今、俺の側にいる。

 叶わぬと諦めた恋が実を結んだ日の喜びを、きっと生涯忘れはしない。








 彼女に深く口づけながら、そういえば二人とも夕食がまだだったことに思い至る。

 年若い女王陛下の意向で食事はいつも近侍の者達が同席する約束だが、今日ばかりは辞退させて

いただこう。

 ロゼータには悪いが、少し早い夜食として部屋へ運んでもらえば問題ない。

 もちろん、愛しい未来の妻を充分に味わった後で。













                                                     END





       **********************************************
       乙女なくせに婚前交渉で子作りしちゃった黒騎士様。(笑)
       やっぱエリーゼとのご飯よりこっちが優先でしょう。 当然。
       でも彼女の事だから、それなら仕方ありませんね、とか言っ
       て納得するに違いない。 家臣に寛大な女王様が素敵。